2014年02月21日
選挙で勝てば何でもありなのか
最近の安倍首相の暴走は目に余ります。日本が右へ右へ向かっているようで、気が気でありません。その1つが解釈改憲の動きです。
歴代内閣は、「日本国憲法のもとでは、集団的自衛権の行使は認められない」とされてきました。憲法解釈は、ときの政府が自由に変更できる性質のものではないというのが、歴代政府の見解です。
ところが安倍首相は、12日の衆院予算委員会で自ら発言を求め、「最高責任者は私だ。政府の答弁に私が責任をもって、その上で選挙で審判を受ける」などと発言したのです。選挙で勝てば、何をやってもいい、憲法解釈も例外ではないというのです。とんでもありません。
憲法解釈は、政府自身も2004年6月18日の閣議決定の中で述べていますが、「論理的な追求の結果として示されてきたもの」です。自由に、ときの政府が憲法解釈を変更することは許されません。
安倍首相の発言は、閣議決定さえ踏みにじるものです。何よりも憲法というのは国家権力を縛るものです。政府が自由に憲法解釈を変更できるなど、立憲国として考えられないことです。内閣法制局長官経験者も、「選挙に勝てば法解釈は自由ということになれば、法律も裁判所も意味を持たない。そんな国は世界にない」と明言しています。
これまでの内閣は、保守なりの一定の節度が働いていました。そうした節度も働かないのが安倍内閣です。このままでは、本当に恐ろしい世の中になってしまいそうです。
歴代内閣は、「日本国憲法のもとでは、集団的自衛権の行使は認められない」とされてきました。憲法解釈は、ときの政府が自由に変更できる性質のものではないというのが、歴代政府の見解です。
ところが安倍首相は、12日の衆院予算委員会で自ら発言を求め、「最高責任者は私だ。政府の答弁に私が責任をもって、その上で選挙で審判を受ける」などと発言したのです。選挙で勝てば、何をやってもいい、憲法解釈も例外ではないというのです。とんでもありません。
憲法解釈は、政府自身も2004年6月18日の閣議決定の中で述べていますが、「論理的な追求の結果として示されてきたもの」です。自由に、ときの政府が憲法解釈を変更することは許されません。
安倍首相の発言は、閣議決定さえ踏みにじるものです。何よりも憲法というのは国家権力を縛るものです。政府が自由に憲法解釈を変更できるなど、立憲国として考えられないことです。内閣法制局長官経験者も、「選挙に勝てば法解釈は自由ということになれば、法律も裁判所も意味を持たない。そんな国は世界にない」と明言しています。
これまでの内閣は、保守なりの一定の節度が働いていました。そうした節度も働かないのが安倍内閣です。このままでは、本当に恐ろしい世の中になってしまいそうです。
タグ :解釈改憲
Posted by jacks at
10:39
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